お能を知る 歴史編

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■お能を知る■
歴史編

~約650年続いてきた芸術~

●世阿弥、足利義満に見出される。
「能楽」は猿楽と呼ばれ、神社のお祭りの意味を翻訳し大衆に見せていました。次第にそれは洗練され、約650年程前の室町時代初期には現在の能に近い物となりました。その面白さに魅了された時の将軍・足利義満はこれを保護し、世に広めます。名手であった観阿弥・世阿弥親子は将軍の絶大な支援を背景として、能の芸術性を高め、優美な舞台芸術として大成させました。

●秀吉も家康も能好き!武家の式楽となる。
応仁の乱以降、幕府の衰退、寺社の弱体化は能に大きな打撃を与え、能役者の多くは都から地方へ下り、有力大名を頼ることになります。中でも豊臣秀吉は熱狂的な能の愛好者となり、保護しました。安土桃山文化の隆盛により、豪壮な能舞台様式が確立。能装束も豪奢となり、能面の型が出揃ったのも、この頃。徳川家の御世となっても幕府が能を武家の式楽と定めた事により能は統制され、保護を受けました。

●能の存続危機?!
明治維新により後援者をなくした能は危機に陥ります。そうした中、岩倉具視を大使とする新政府使節団が欧米諸国を視察。各国の文化保護政策に影響を受け、日本独自の芸能を確立する事の必要性を痛感。新政府が、能楽・文楽・歌舞伎を日本の三大芸能と定めたため、能楽は再び保護される事となりました。能楽界は少しずつ息を吹き返し(この頃「猿楽」から「能楽」に。)現在まで、大震災や大戦を経てもなお伝統を守り、継承されています。

●ユネスコ世界無形文化遺産へ
2001年、能楽はユネスコ世界無形文化遺産第一号に認定され、世界も認める日本の「芸術」となりました。それにも関らず、能楽を鑑賞した事のある人は日本の全国民の2%にすぎないという残念な統計も。